2015-09-08 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第17号
これでどうやって日本を軍国主義化するんでしょう。私は理解ができません。 もう一つ、今国会での議論を伺っていて疑問に思うことがございます。それは、審議中に具体的な法案の内容について余り詳しい議論がなかったことであります。議論をしないでおいて一方で説明不足だと言われても、これはなかなか理解できないのでありますが。
これでどうやって日本を軍国主義化するんでしょう。私は理解ができません。 もう一つ、今国会での議論を伺っていて疑問に思うことがございます。それは、審議中に具体的な法案の内容について余り詳しい議論がなかったことであります。議論をしないでおいて一方で説明不足だと言われても、これはなかなか理解できないのでありますが。
また、有名な孫文の日本における演説において、覇道を選ぶのか王道を選ぶのかと、当時の軍国主義化してきた日本に対して、ある意味、突きつけた言葉というのは、今の我々にとっても非常に大きなものがあり、場合によっては、今の中国にとっても逆に問い返したいという気持ちもいたしております。
最後に一点だけ付け加えますと、先ほど孔参考人が御紹介いただいたものの中に、日本の軍国主義化を心配するかという調査がありまして、その中での答えは、五四・八%が日本の軍国主義化を心配する、三〇・九%が余り心配ないと。この現実なんですね。
ところが、日本で憲法改正というと、何か軍国主義化するという議論ばかりで、なぜ憲法擁護という側からも憲法改正という問題提起がないのか。その中で本当にちょうちょうはっしとした国会の議論が、論戦が行われ、本当に世界の平和を実現する能力を持った憲法になっていないのかという疑問があるわけであります。
これは私に言わせれば、もしそれが政治的な意味合いにおいて、いわゆる憲法改正、あるいは憲法条項の改定なり新しく規定をするということが嫌だという感情的な問題、あるいはそのことがいわゆる軍国主義化に道を開くとか、そういうおそれに基づいて、憲法をアンタッチャブルにしなければならない、この現行憲法に触れてはならないんだという心理から発せられているとすれば、二重の意味において間違っていると私はこの間感じております
○達増委員 この防衛国際協力基本法の背景にあると思われる普通の国という考え方、この普通の国論についてはかなり誤解を受けているところもあると思っておりまして、軍国主義化ではないのか、アメリカ、イギリス並みのそういう装備、能力を身につけて世界のあらゆることに介入していく、そういう、日本が軍国主義化することにつながるのではないかという批判もあるわけですけれども、そうではないということが今確認できたと思います
大国イメージによる論調には、諸外国からは大国志向あるいは軍国主義化への懸念、そういったものが表明されてきた。そして片方で、非大国イメージによる論調には、国際的責務を果たしていない、果たそうとしないと諸外国から批判されてきた。現状としては、錯綜する内外からの批判、懸念表明に日本は混乱している。 ですから、非大国イメージと大国イメージの間に、安保条約をめぐって分裂した反応があるというわけであります。
芦田均小委員長が、九条二項の冒頭に、「前項の目的を達するため、」という条項を入れた芦田修正でありますが、これが行われたときに、直ちにそれが極東委員会という場で議論があって、極東委員会の場では、この修正があったことによって日本は再軍備が可能になったんだ、したがって、再び軍国主義化しないように歯どめをかける必要があるということで、文民条項を入れるべきだという議論になった。
よく、アジア諸国がまだ日本に対する軍国主義化、軍事大国化の危惧を持っていて、その面では第九条になお存続理由、効用があるのではないかという議論もあります。 私も、アジア諸国と行き来をする中で、第九条の前段、つまり、国際紛争解決の手段としての戦争を行わないという侵略戦争の否定部分、これは堅持する、日本国民の間で広く定着している。
ところが、相手の国が再び侵略しないようにするというのに民主化と絡めているというのが、ここがアメリカの、民主主義化すれば軍国主義化しないんだというのは非常に大きな特徴ではないのかなというふうに私は考えておるわけです。ですから、非軍事化と民主化というふうに並べて申しましたけれども、当時の考えは、力点は非軍事化にあったと理解しておいた方が正確なのではないかと思うんです。
要するに、先ほど申しましたこととのかかわりで言えば、日本を非軍事化するための一つの大きな目的というのがあったわけで、それをなぜやるかというと、やはり天皇制と結びついて軍国主義化ということが考えられていたわけでありますから、それとのかかわりで、マッカーサー・ノート以降、今の九条の問題が出てきておるのではないかと私は理解しておるということであります。
でも、戦後の憲法制定もまた当事者の政略、戦略の産物なんでありまして、アメリカは開明的専制君主の役割をマッカーサーがしたと言いましたけれども、やはりアメリカはアメリカの世界戦略の中で、日本の非軍国主義化、非軍事化という戦略があってあの憲法を日本に強く要求したわけでありまして、そういう過程であります。
戦後の占領下では、非軍国主義化推進のため軍人恩給などは廃止され、一般的な社会保障制度の中に統合されました。 しかし、一九五二年四月、対日平和条約が発効して日本が主権を回復すると、まず戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定され、翌年には軍人恩給も復活しております。これら十四本の援護諸法によりまして、現在毎年約一兆五千億円が支出されております。
一方で、日本人というのは歴史を通じて常にそうだったかというと、結構自主独立の精神にあふれ、起業家精神も旺盛で、近代日本が軍国主義化する前の明治、大正などを考えると、結構新しい事業を起こすとか、あとサラリーマンでも途中で仕事をどんどん変えるとか、そういうのがあって、実はそういう方が本来の日本人の姿であって、今の日本は本来の日本から、敗戦とか復興とかいう特殊事情によって、ちょっと曲がってしまったのじゃないかというふうに
○参考人(岡崎久彦君) 瓶のふた論でございますけれども、これは文字どおりに解釈して、アメリカがかつてのGHQのように日本を支配していて、日本がちょっとでも軍国主義化すればすぐ抑える、そういうふうにとればこれは非常に屈辱的なことなのでございますけれども、歴史的に見れば、私自身の判断ではそんな間違った判断だと思っていないんです。
ちょっとその関連で伺いたいんですが、要するに、戦前非常に日本が軍国主義化しましたね。その中で国家神道が果たした役割、責任というのは総理はどのように御認識されていますか。
四番目に、地方自治の破壊、民主主義の破壊、軍国主義化の方向が強まる。こういう理由を挙げて総背番号制に反対されておられましたが、この基本的な見地というのは社会党は、政府の立場ではなくて社会党はこの基本的な立場は今でも変わりないと思いますが、いかがですか。
ところが、こういうふうな歌が、昭和十年代のころになりますというと軍国主義化とともに一般的な長寿奉祝の歌が随分意味が変わってくる。昭和十年代の小学校国定教科書では、君が代は日本の国歌です、国民は君が代を歌って天皇陛下の御代万歳をお祝い申し上げます、そういうふうにちょっと変わってきているんですね。
国民の中には、日本がちょっと武力に参加するということになると、軍国主義化するのではないか、こういうふうな懸念を抱く人が相当おります。これは情けない。なぜならば、軍国主義化するかしないかは国民が決めることなんですね。政治家が勝手に政治をしていて、国民が関係ないと思うから軍国主義化するのではないかといったような変な懸念が出てくる。
レーガン大統領の時代のワインバーガー国防長官も自衛隊の海外派遣という日本の軍国主義化を全く不気味なものというふうに指摘しております。あるいはハワード・ベーカー首席補佐官は、日本に対してこの軍事的役割を支持する国はアジアにはないと断定をしております。こういう意見が出てきた。
中国におきましても、一部では日本の軍国主義化といったものを遠慮がちに批判しながらも、今次湾岸戦争における近代兵器の威力というものにショックを受けまして、さきの第七期の全国人民代表大会で発表されました中国の国防予算を見てみますと、装備の近代化を主体に三百二十五億元、昨年に比較して一二%増でございます。
日本の軍国主義化の危険な風潮の阻止、これがますます国民的課題になっている等の内容です。 海部首相、政府としても方針を発表したようですけれども、湾岸戦争の教訓からどういう政策をとろうとしておられますか。